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035:過去デジ子⑤by香港駐在

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『過去デジ子⑤by香港駐在』


衝撃的なパソコンの出会いの後、

世の中にもパソコンが普及し始める。

私も仕事柄、パソコンを使って、文章を書いたり、

データの作成をしたりするようになりました。


当時のパソコンは仕事のツールであり、

先に述べた弟の領域とは違っていました。


もちろん、会社以外でしようすることもないので、

自分で購入することもありませんでした。


そんな時、あるきっかけで、香港での駐在勤務をすることになった。

海外旅行に行ったことや、1ヶ月くらいくらした経験はあるけど、

お仕事をするとなると、話は別。

ちなみに誰一人知っている人がいない場所。

正直、悩みましたが、

「たとえ3日で泣いて帰ってきてもいい。まずは行ってみよう!やってみよう!」

っと、決めて旅立ちました。


予想はしていたものの、本当に寂しい毎日。特に夜。

朝9時から夕方6時までは、通訳の子がいて、それなりに話もできる。

しかし、そこから次の日の朝まで、ひとりぼっちなのです。

あまりの寂しさに、時々お部屋に現れる、

大嫌いなゴキブリちゃんすら、かわいいと思ったこともありました(笑)


レストランに一人でいっても、メニューがわからなく、

意味わからない巨大なサラダがでてきたり、

乗ったバスが、行きたいところとは別のところにいったり、

それでも、しばらくはがんばりたいと思い、日本にいるボスへ

パソコンで日々の報告をしたりしていた。


そんな毎日の寂しい夜をすくってくれたのが、パソコンでした。

パソコンというか、インターネットです!

当時の香港はすでに終日インターネットがフリーでしたので、

一晩中やっていても、よい時代。

ちなみに、日本は確か23時から明け方までがフリーだったかな?


ある日の夜、日本のドラマを貸し出ししてくれるレンタルビデオ屋さんに行き、

藤原紀香ちゃんとが出ているドラマをゲット。


ドラマを見終わった後、藤原紀香ちゃんをチョイと検索してみたところ、

掲示板というのを発見。

中を見ると、いろんな人がドラマのことや、紀香ちゃんのことを書いていて、

時々、本物の紀香ちゃんからのレスポンスがあるのです。


おもしろそぉ・・・・・っと思って私も一行。


「香港の花子(ハンドルネーム)です。香港で紀香ちゃんのドラマ見ています!」


っと、文章を送ってその日は寝ました。


そそそ・・・そしたら、なんと次の朝です。

30通あまりの、レスポンスが帰ってきていたのです。

それも、日本だけでなく、アメリカやドイツなど。。。

本当に大感動!

この掲示板が私の救世主となりました。


インターネットってなんて素晴らしいのだろう目


前置きがかなり長くなりましたが、

時は1999年、これがデジ子の目覚めであり、本当のスタートです!


それからというもの、オタク的に毎日掲示板に更新し、

多くの掲示板でのお友達ができました。

その頃から、香港でのリアルなお友達も少しずつ増えて、

ネット上も生活そのものも、とっても楽しくなっていきました。


掲示板では、ラッキーなことに、

本物の紀香ちゃんから、レスポンスをもらうこともできたし、

紀香ちゃんが連載していたcanCanに、さりげなく、

私の話を記事に書いてくれたこともあました。


また、一時帰国の際には、オフ会たるものにも参加してみました。


このオフ会がまた衝撃的でした。

今となっては、すべて当たり前にできることなんですが、1999年の話です。

確か、新橋のガード下の居酒屋でしたが、

みんなそれぞれ、デジタルツールを使いこなし、

その場でとった写真を、すぐにインターネット上にアップしたり、

チャットで、海外と通信し合い、その場にいない人も一緒に飲んでいるかのようでした。

その場は、夢のようでした。


こうして、デジ子が少しずつ形成されていったのでした。

なので、とっても感謝。

パソコンにも感謝だし、それを扱っている人々にも感謝。

なので、私はネットの世界をとても暖かいものだと思っている。


このときの感動は今でも忘れることがないことの一つです。



Thanks 星














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