『過去デジ子⑤by香港駐在』
衝撃的なパソコンの出会いの後、
世の中にもパソコンが普及し始める。
私も仕事柄、パソコンを使って、文章を書いたり、
データの作成をしたりするようになりました。
当時のパソコンは仕事のツールであり、
先に述べた弟の領域とは違っていました。
もちろん、会社以外でしようすることもないので、
自分で購入することもありませんでした。
そんな時、あるきっかけで、香港での駐在勤務をすることになった。
海外旅行に行ったことや、1ヶ月くらいくらした経験はあるけど、
お仕事をするとなると、話は別。
ちなみに誰一人知っている人がいない場所。
正直、悩みましたが、
「たとえ3日で泣いて帰ってきてもいい。まずは行ってみよう!やってみよう!」
っと、決めて旅立ちました。
予想はしていたものの、本当に寂しい毎日。特に夜。
朝9時から夕方6時までは、通訳の子がいて、それなりに話もできる。
しかし、そこから次の日の朝まで、ひとりぼっちなのです。
あまりの寂しさに、時々お部屋に現れる、
大嫌いなゴキブリちゃんすら、かわいいと思ったこともありました(笑)
レストランに一人でいっても、メニューがわからなく、
意味わからない巨大なサラダがでてきたり、
乗ったバスが、行きたいところとは別のところにいったり、
それでも、しばらくはがんばりたいと思い、日本にいるボスへ
パソコンで日々の報告をしたりしていた。
そんな毎日の寂しい夜をすくってくれたのが、パソコンでした。
パソコンというか、インターネットです!
当時の香港はすでに終日インターネットがフリーでしたので、
一晩中やっていても、よい時代。
ちなみに、日本は確か23時から明け方までがフリーだったかな?
ある日の夜、日本のドラマを貸し出ししてくれるレンタルビデオ屋さんに行き、
藤原紀香ちゃんとが出ているドラマをゲット。
ドラマを見終わった後、藤原紀香ちゃんをチョイと検索してみたところ、
掲示板というのを発見。
中を見ると、いろんな人がドラマのことや、紀香ちゃんのことを書いていて、
時々、本物の紀香ちゃんからのレスポンスがあるのです。
おもしろそぉ・・・・・っと思って私も一行。
「香港の花子(ハンドルネーム)です。香港で紀香ちゃんのドラマ見ています!」
っと、文章を送ってその日は寝ました。
そそそ・・・そしたら、なんと次の朝です。
30通あまりの、レスポンスが帰ってきていたのです。
それも、日本だけでなく、アメリカやドイツなど。。。
本当に大感動!
この掲示板が私の救世主となりました。
インターネットってなんて素晴らしいのだろう![]()
前置きがかなり長くなりましたが、
時は1999年、これがデジ子の目覚めであり、本当のスタートです!
それからというもの、オタク的に毎日掲示板に更新し、
多くの掲示板でのお友達ができました。
その頃から、香港でのリアルなお友達も少しずつ増えて、
ネット上も生活そのものも、とっても楽しくなっていきました。
掲示板では、ラッキーなことに、
本物の紀香ちゃんから、レスポンスをもらうこともできたし、
紀香ちゃんが連載していたcanCanに、さりげなく、
私の話を記事に書いてくれたこともあました。
また、一時帰国の際には、オフ会たるものにも参加してみました。
このオフ会がまた衝撃的でした。
今となっては、すべて当たり前にできることなんですが、1999年の話です。
確か、新橋のガード下の居酒屋でしたが、
みんなそれぞれ、デジタルツールを使いこなし、
その場でとった写真を、すぐにインターネット上にアップしたり、
チャットで、海外と通信し合い、その場にいない人も一緒に飲んでいるかのようでした。
その場は、夢のようでした。
こうして、デジ子が少しずつ形成されていったのでした。
なので、とっても感謝。
パソコンにも感謝だし、それを扱っている人々にも感謝。
なので、私はネットの世界をとても暖かいものだと思っている。
このときの感動は今でも忘れることがないことの一つです。
Thanks ![]()